ページ番号 1002880 更新日 令和5年5月23日
公園や池、そして名水などで市天然記念物に指定されている箇所もあります。
嘉祥元年(848)、絶世の美女、玉造小町が重い病気に苦しみ、国分寺の薬師如来に祈ると、一人の童子があらわれ池の水で身を清めるように言いました。小町が身体を洗うとたちまち病気が治癒し、元の美しい姿に戻ったという伝承から、この池を「真姿の池」と呼ぶようになりました。この真姿の池湧水群などの国分寺市内の湧水は、野川の源流です。野川は世田谷区の二子玉川で多摩川に合流します。
また、湧水群の清流沿いは、江戸時代のお鷹場に由来する「お鷹の道」で、カラーの花が多く、昔ながらの風情が残る遊歩道です。
大正初期、三菱合資会社重役の別邸として造られた後、昭和4年に旧三菱財閥の岩崎彦弥太氏が買収し、本館、茶室(紅葉亭)などが整備され、和洋折衷の回遊式林泉庭園として完成しました。昭和49年に都が買収し、都立庭園として開園しました。園内の「次郎弁天の池」は、野川の水源の一つです。武蔵野台地と崖線の自然が残り、アカマツ・モミジなどの樹木や野草、昆虫などが見られるほか、様々な行事が催されます。平成23年9月、別荘庭園として多摩地域初の国名勝に指定されました。
旧国鉄・鉄道学園跡地につくられた、1周約500メートルの園路に囲まれた円形の芝生広場が特徴の都立公園です。園内には、桜や藤などの様々な樹木や花があり、滝や池、噴水などの水辺もあります。解放感のある広い芝生は家族連れの憩いの場として人気です。
蒸気機関車の車輪を使ったユニークな中央鉄道学園記念碑もあります。毎年行われる「国分寺まつり」の会場となります。南面は、真姿の池湧水群や国分寺などの名所と接します。
故星野亮勝前国分寺住職が、武蔵国分寺跡を訪れる人々が、奈良時代の文化や思想を理解しやすいようにと、国分寺が栄えた時代と同時期に編さんされた「万葉集」に歌われた約160種の植物を例歌とともに展示しています。
鎌倉時代、恋ヶ窪は宿場町として栄え、遊女達が池で朝な夕なに自らの姿を映していたことから「姿見の池」と呼ばれるようになったと伝えられています。恋ヶ窪という地名の由来の一つともいわれています。
昭和に入り一度埋め立てられましたが、平成11年に緑地保全地区として整備され、かつての武蔵野の里山風景を見ることができます。傾城・夙妻太夫(あさづまだゆう)が、身を投げた池と伝えられ、大岡昇平著作「武蔵野夫人」の舞台でもあります。野鳥が観察できるスポットとしても人気の名所となっています。
池の周囲5カ所の湧水が流れ込んでいます。以前はワサビ田として利用されていたものを、元学長北澤新次郎氏の時代に池として整備し、池の名は北澤氏にちなんで名付けられたといわれます。東京経済大学の憩いの場となっています。
国分尼寺跡と伝鎌倉街道に隣接している公園です。桜の季節には花見の名所として知られ、多くの方が訪れます。園内には、地形を利用した遊具が豊富に設置されており、子ども連れに人気のスポットです。
お問い合わせは、国分寺市建設環境部緑と公園課公園緑地係へ。
水と緑と芝生大広場と大型カラフル複合遊具の公園です。
お問い合わせは、国分寺市建設環境部緑と公園課公園緑地係へ。
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